![[写真]恩師ピエロ・ジャンナツィーニ氏(左)、給仕長ウルバノ氏(右)と](../img/profile.jpg)
料理を始める以前の私 …
物心ついた頃より「食」に対する好奇心の強さはかなりのものだったと思います。
「初めて見る食べ物」はとりあえず食べてみたい … というのは今でもぜんぜん変わっていませんね。したがって好き嫌いはほとんどありません。
2才の頃からの記憶の断片も、そのほとんどに「食べ物」が登場します。
いつ頃から料理を …
母が病気がちだったこともあって、中学生のころには簡単な食事を作っていました。
中三の時、来客があるのに母に寝込まれた時のこと。トンカツを揚げたまでは良かったのですが、線切りキャベツに悪戦苦闘して、気づいた時はまな板のまわりはもちろんのこと、足元の床までキャベツだらけになり、そこにお客さま到着と相成りました。その時のことは今でもキャベツを切るたびに思いだします。
なぜイタリア料理を …
24才で結婚以来、事あるごとに「ホームパーティー」を開いてきました。演奏のために来日された外国の音楽家をお招きすることも多かったですね。そうしている内に、イタリア人演奏家の方々とのお付き合いが増えまして、とうとう、2週間、一ヶ月と我が家に滞在する方々もいらっしゃって …。
その頃より「イタリア料理」への興味が急激に膨らんだというわけです。
本格的に取り組んだのはいつ …
1991年、紹介してくださる方があってイタリア・フィレンツェの、伝統料理のレストラン「レ クアットロ スタジョーニ(四季の意)」に三ヶ月間、見習いとして入れていただきました。家族経営のとても居心地のよいお店で、何よりも料理が美味しく、たくさんのことを学びました。
オーナーシェフのピエロ・ジャンナッチーニ氏は、フィレンツェの料理人の中でも指導的立場にあった方で、人間的にも大変豊かな方で、見習いの私に邪魔な顔ひとつせず、一つ一つ丁寧に教えてくださいました。私の人生における最大の「師/マエストロ」として尊敬しています。奥様のロリアーナさん始めお店のスタッフの方々も楽しく親切な方ばかりで、ここに居た三ヶ月は私にとって宝石のような日々でした。
その後の活動は …
私自身、本職を他に持っていたこともあり、長期間日本を留守にすることが出来なかったので、年に2〜3回、1回に2週間平均でイタリアに出かけました。20回は行ったでしょうか。滞在中、フィレンツェの師匠の所を中心に、イタリア各地を「食べ歩き」「観て歩き」をしました。
美味しいレストランに行き当たったときは、調理法を聞いたり、厨房を見せてもらったりします。イタリア人は秘密主義ではないので、こちらがはっきり自己紹介をしてオープンな態度で接すれば、気持ちよく応対してくれるのがほとんどです。
ついでに買い物も大好きなので(ブランド品ではなく)各地方の手工芸品などよく探して歩きました。
その間、東京の自宅で「イタリア料理教室」を開いたり、イタリアで買い込んだ専門書を読んだりと自分のペースで楽しみながら勉強を続けてきました。料理教室が1コース終了したとき、生徒さん6人と「イタリアグルメ旅」に出かけたこともあります。
なぜ沖縄に …
ページトップにも書きましたが、沖縄の豊かな食材に魅せられたからです。この食材をイタリア料理の手法で調理したらきっと美味しいに違いない …。この一言につきます。
料理以外の経歴を …
武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。
1983年より2004年まで、音楽大学受験予備校「音大進学ゼミナール」の代表を務める。
2004年3月、夫の退官を期に、共に沖縄に移住。
今までに訪れたイタリア各都市 …
コモ、ミラノ、ベローナ、ヴィチェンツァ、マロスティカ、バッサーノ デル グラッパ、ヴェネツィア、パルマ、モデナ、ボローニャ、シエナ、ルッカ、フィレンツェ、アレッツォ、ローマ、ネットゥーノ、アッシジ、ナポリ、パレルモ、カターニャ、シラクーザ、タオルミナ、他